エビのしっぽ食べる食べない問題

〇えびのしっぽ食べる食べない
えびのしっぽって皆さんは食べますか?

僕は食べないタイプです。

ここで考えたいのは、
「気になってる人がしっぽを食べるタイプ」
だった場合です。

そんなんどっちでもいいでしょ、とか
食べる人なんてほとんどいないでしょ、なんて
言葉はちょっと遠くに置いておいてください。

大概の人は相手が食べても自分の行動を
変えないと思います。

しかし僕は
「相手が食べたら合わせて食べる」
という行為を取ります。

もちろん、
「え、あなたも食べるタイプなの?」
「そうなんだよ、これは食べないとね」
「そうよね、食べない人とは付き合えないもの」
「ふふふふふ」
「あはははは」

なんて会話にならないことは百も承知です。
その後えびのしっぽトークで盛り上がって、
そのままいい感じのバーに行って
どちらともなく手を握りだして…
なんて展開にならないことも百も承知です。

だいたいえびのしっぽトークってなんだ。
そんなもん1分と持たずに終わるわ。

どこの世界にえびのしっぽを食べるか否かで
夜を共にするかどうかを決める人
がいるというんだ。

いたら怖い、確実になんらかの問題がある。

それでも、たぶん僕は合わせるんです、相手に。

これは相手にどう思われるかというより
この場はそうした方が正しいのだな、
という謎の固定観念が働くからです。

僕は「場」というものを重視してしまう
傾向がたびたびあるような気がします。

誰かのためとか、自分の好みとかを超越した
「場」の作用というのを感じてしまうのです。

これは空気を読むとは違う行為です。

例えば喫茶店でモーニングを食べた時、
食後のコーヒーを飲みながらタバコを吸います。

この時、喫茶店では「コーヒーを飲み」
「タバコを吸う」ものだという場の作用を
僕は感じてそれらの行為を行います。

この時、僕の好みや感情は考慮されません。
なんなら感情の方が場の作用に合わせていきます。

全然コーヒーよりお茶が飲みたいのに、
タバコなんて吸いたくもないのに、
って状態の時でも喫茶店の中では
コーヒーとタバコを求めるように
なってしまうのです。
場の力によって。
そしてそれに心から満足するのです。

そして怖いのは、たびたび僕はこの作用を
求めにいっているということです。

それは喫茶店でコーヒーを飲んでタバコを
吸いたいという僕の感情からなのか、
それとも場に支配されたいという隷属的な
心情からなのか、当人の僕には判断ができません。

更に怖いことに、
この現象はSNSを介して猛烈な速度で
人間全体に侵食しているということです。

SNSは現代社会に置いて最も強力な
「場の作用」が働くところでしょう。

空虚なインフルエンサー、過激化するレイシスト、
承認欲求に飲まれるネットジャンキー。

ネットの世界は現実世界と同期しながら、
時に独り立ちして明後日の方向へ向かっている
第2の場として動いている。

現実世界、ネット世界、場として
強いのは果たしてどちらなのか…

果たしてあなたはSNSを使っているのか、
SNSに使われているのか、
どちらなのか……。


えびのしっぽを食べるか
食べないかって話だったのに、
なんでこんな方向に行ったんでしょう?

僕にもさっぱりわからないです。


PS.この前インド映画を初めてみました。
  かなり面白かったのでおすすめです。
  amazonprimeで見れるので、ぜひ。
  
  「きっと、うまくいく」

今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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