食べ物の思い出補正

祭りの屋台のやきそばはなぜ美味しいのか。


いや、そもそも美味しい美味しくないという
フィールドを抜け出している気がする。

「屋台のやきそば」は味覚によって
味わうものではない。
その場の雰囲気を全て巻き込んだ
一種のアクティビティなのだ。

そのため、
「まぁ、こういうものだよね」
とか
「キャベツに火が通ってないなぁ」
などと言いながらもにこにこと
食べるのだ。

こういった例は他にもある。

BBQの肉がやっすく硬い肉でも
やたら美味しく感じたり、
ビアガーデンのビールがちょっと薄くても
キレがあると錯覚したりする。

食べ物は食べる環境も非常に大切という
ことがわかる。

東京にいればたいていの名物は
食べることができる。
それもかなりのレベルのものを。

広島風お好み焼きだって。
博多豚骨ラーメンだって。
仙台の牛タンだって。
なんでも食べることができる。

それでもわざわざ僕達は旅行に行き、
ご当地のものを食べる。
時には値段に見合っていないような
料理にも気前よくお金を払う。

食べ物は背景があってこそその本来の
価値を感じる。
食は文化とはよく言ったものである。

さて自分のことを思い出すと、
なるほどいくつか記憶に残っている
食べ物がある。

1つ目は「笹寿司」
石川、長野、新潟などの郷土料理で、
笹の上に酢飯とネタを乗せて
作る押し寿司だ。

僕は母の実家の新潟でこれを食べた。
ネタといっても魚は使用しておらず、
ゆかり、五目煮、卵とそぼろなどであった。
山間部であったため、魚を使わない寿司が
生まれたのだろう。

祖母がこれをとにかく作りまくる。
孫に食べさせるのが祖母の宿命なのだろう。
大量に食べさせる。
僕は田舎に行くたびにこれを腹が破裂する
ほど食べた。

僕の一生忘れらない味である。

2つ目は「並木藪蕎麦」
藪蕎麦の御三家の1つ、浅草の
藪蕎麦。蕎麦の味も印象深いのだが、
父と並んで食べたということが
なにより強く記憶に残っている。

小学生の頃、どういった理由だったか
わからないが父と浅草に行った。
その際のお昼で食べたのだが、
その強烈な味に衝撃を受けた。

今まで食べた蕎麦とは全く違う。
まさに江戸のそば。
つゆはとても辛く、
そばはとても香りが強い。
今でも僕の人生トップ3には入る
蕎麦である。

しかし今食べてもおそらくあの時の
味には適わないだろう。

父と並び、父から蕎麦の食べ方を教わる。
その一連の流れがなにより大切だったのだ。

父と二人で外食をすることが
今でもたまにあるが、その度に
そのシーンが心に強く刻み込まれる。

父が死ぬまで後どれくらいの機会が
あるだろうか。

3つ目は「叙々苑」
これは単純に味の記憶が強い。

友人の就職祝に1人1万円のコースを
予約し、僕らは六本木へ繰り出した。

肉を食べた瞬間僕らは笑ってしまった。

笑顔になったぐらいではなく、
声を出して笑った。

美味しい肉を食べると人は笑う。
そんな発見をした。

また、冷麺には団子状になって
串に刺さったメロンが入っていた。

りんごでもなく、すいかでもなく、
パインでもなく、メロン。

僕らは叙々苑に圧倒されて
六本木を離れた。
三田線で感想を語り合う僕らは
偏差値40を切っていただろう。

美味しい肉は人を馬鹿にさせる。
つまり、叙々苑は笑う馬鹿を
大量に量産しているということだ。

小難しい奴より、笑う馬鹿が増えた方が
世の中も明るくなると思うので、
叙々苑はこれからも頑張って欲しい。

ただ、値段は下げろ。

ざっと思い返したみたところ、
このあたりが最も記憶に残っている。

これからも記憶に残る食事を
したいものだ。

PS:死ぬ前に食べたいものを考えたが、
想像もできませんでした。
母はすいかと言っていて、
なるほど一理あると思いました。

今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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