短歌を初めて意識したのは、
大学生の頃だった。
月並みに俵万智。
嫁さんになれよだなんて缶チューハイ
2本で言ってしまっていいの
俵万智「サラダ記念日」
サラダ記念日が有名だが、
それよりもこっちが僕の心に響いた。
嫁さんになれよという言葉が作った雰囲気が、
たった三十一文字の中に詰まっていて、
その雰囲気が僕の脳内にぶわっと入り込んできた。
ほんの少し意識しあっている関係。
缶チューハイだから店ではない。
2杯で言ってしまっていいのと
言っているので、先に飲んでいたわけではない。
つまり家か、それに準ずる場所に
早い時間帯でいることを示唆している。
更に嫁さんになれよという言葉に、
関係の不安定さと照れが入り混じっている。
この会話をしている当人たちは、
付き合っているのかいないのか。
そこは読み手に委ねられる。
つまり自分だけの三十一文字になる。
たった三十一文字で。
たった三十一文字だからこそ。
強く強く伝わる。
なんてこった。
僕が何文字もこねくりまわして
伝えようとする情景なんかより、
この三十一文字がもつ質量は
遥かに遥かに大きかった。
それからいくつか歌集を読み、
更に短歌の世界の奥深さを知った。
今すぎにキャラメルコーンを買ってきて
そうじゃなければ妻と別れて
佐藤真由美「プライベート」
この歌も恐ろしいほどの世界を展開している。
上の句と下の句のギャップ。
キャラメルコーンというチャイルディッシュな単語から、
妻と別れてというアダルティな世界への飛躍。
女性の奥深さをありありと表現している。
女は妻と別れるとは本気で思っていない。
だからキャラメルコーンを買いに行かせる
わがままを投げかける。
わがままを言う女。それに応える男。
ただ自分が都合のいい女ではないことを
証明させることで、相手の心を軽くさせる。
それと同時に自分の心を守る"逃げ"でもある。
僕はそんな女性のプライドと切ない心遣いを
感じた。
こんなことを、三十一文字で伝える。
好きだった雨、雨だったあの頃の
日々、あの頃の日々だった君
枡野浩一「淋しいのはおまえだけじゃな」
枡野浩一の短歌はどれも新鮮さと文学性があって、
僕は読むたびに切なさのような、くすぐったさの
ようなもどかしさを感じる。
テンポがなにより美しい。
また、過去のことは美しく映る。
同じ言葉が何度も繰り返され、
そのたびに心を強く打ち付けていく。
最初の好きだった雨、の時点で切なさが薫って、
そのまま加速度的に切なさが強くなる。
更に美しさも強くなる。
三十一文字という限定された世界で、
無限の広がりが生まれている。
神秘的な矛盾が短歌にはある。
それが僕の心を捉えて離さないのだ。
PS:スーパーで小学生3人組が、
「100万、100万、100万。だから1人2万な」
と言っていました。計算の破綻もさることながら、
彼らはスーパーで何を買うつもりだったのか、
気になってしょうがないです。
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