村上春樹風シーシャ


2020年の初夏、雨の降る日のことだ。

その日、僕は25メートルプールを一杯に
満たせるくらいの暇を抱えてソファに横たわっていた。

人間というのは大別すると2つのタイプに
分かれる。

シーシャが好きな人と、そうでない人だ。

別に前者が先進的で都会的な感性の持ち主で、
後者はその逆で、というわけでもなく、
単純にシーシャが好きかどうかという極めて
単純な次元の話である。

そしてお察しの通り、僕は前者である。

僕はコンロの上の網に炭を3つ転がし、
着火つまみをひねった。

ローマ帝国の奴隷のごとく酷使されたコンロは
弱弱しい着火音を喘ぎながら
やっとこさという感じで弱火を付けた。

僕は思案し、適したフレーバーを探していた。
この段階になると僕はいつも迷子になっていた。
まるで砂漠の中でオアシスを求める遭難者のように。

僕は何のフレーバーを選んでもいいし、
好きなだけミックスしてもいい。

ふわもりにしてもいいし、ぎちぎちに
詰め込んでみてもいい。
いつもより長い時間蒸らしてみるのも
悪くない。

ただ、1つだけ確かなことがある。

完璧なフレーバーは存在しない。

完璧な絶望が存在しないように。



スピーカーからはジャミロクワイの
「virtual insanity」が流れている。

外では雷が鳴りだしている。

さて、結局、何を吸おうか。

とりあえず、スコッチをグラスに流し、
水を8分目になるまで加えた。

一口流し込むと、アルコールが脳に
ゆっくりとしみ込んでくる。
それはちょうど河口に近づいた河のように
緩やかに僕の臓腑へと流れていった。

僕はタッパーを手に取り、蓋を開けて
フレーバーの香りを吸い込んだ。

重たいソーダの香りがする。
更にこれにピスタチオを合わせる。

80ftボウルに詰める。

ビルエバンスの演奏をバックに
ボブデュランが歌うかのような組み合わせだ。
果たして、汚らわしきカオスに終わるのか
美しきコスモスになるのかはわからない。

僕は手早くアルミを張り、穴を開けて、
オデュマンにセットした。

炭は完全燃焼している。
僕はターキッシュに炭を置いて、
スマートフォンのストップウォッチを
スタートさせる。

少し薄くなった水割りを流し込む。

この待っている時間は、
レコードに針を落としてから鳴り出すまでのように
胸の中に期待を膨らませる。

そしてポコポコと小気味良い音を鳴らしながら
煙を吸い込む。



全てのフレーバーはどこか遠くの場所で
前もって密かに燃えているのかもしれないと
僕は思った。
少なくとも重なり合う一つの場所として
それらは失われるべき静かな場所を待っている。


なんにせよ、大切なのは自分の頭で考えた
シーシャより実際に立てたシーシャの味を
味わって噛み締めて考えることなのだ。


そして僕は再び煙を吸い込んだ。






ps.この前神楽坂を歩いていたら
   「えっ、電卓買うの?」
    って声が聞こえて、なんだか考えて笑って
   しまいました。たしかに電卓買う必要ないよね。

今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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