短編:杉野くんのトルソー

「杉野くん、トルソー捨てちゃうの?」
「あぁ、辞めるんだよね、学校」

バイト帰り。
今日の嫌な客への呪いの言葉をつぶやきながら
アパートまで帰ったとき、
トルソーと大量のゴミ袋が
ゴミ捨て場に置いてあった。
それは間違いなく杉野くんのであった。
そして杉野くんはそれを眺めながら
煙草に火を着けているところだった。

「なんで辞めちゃうの」という一言は
私の口からは言えなかった。
周りにも才能があるのに辞めていく人
はたくさんいた。
続けることも才能の一つなのが、この世界だ。

そんな私の思惑に気づいてか
「ちょっと離れるんだよね」
とか細い声でぼそぼそっと言った。

そのちょっとが本当にちょっとだとは
到底思えなかった。

「ねぇ杉野くん、そのトルソー貰ってもいいかな」

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煙草を咥えたまま杉野くんは驚いた顔をした。
器用だな。

「何に使うの、こんなもの」

「なんとなく、お守り代わりみたいな」

杉野くんはあっけにとられている。
そりゃそうだよな、
絵画専攻の私にトルソーは必要ない。
ましてトルソーのお守りって、邪魔すぎるだろう。

「お守りってなんだよ、置物ならわかるけど」
杉野くんは煙草を吐きながら目だけ笑った。

「あと、あのゴミ袋の中もいいかな、
 杉野くんがデザインした服だよね」
勢いに乗って私は言った。
ここまでくれば遠慮も何もない。

「いいよ、雑巾でもなんにでも好きに使って」
杉野くんはさらっと言って、また煙草を吸った。

「代わりと言っては何だけどさ」
煙草の灰を携帯灰皿に落とす。

「宮原の絵画を1枚くれよ」
どこか遠くを見るような眼で私に言った。
私の絵なんかどうすんだろ。

「別にいいけど、杉野くんと違って私は
 賞とかそういうの何も貰ってないし、
 たまにフリマで売り出すくらいのものだよ」

なんだか言ってて恥ずかしさと
嬉しさが同時にこみあげてきた。
あの杉野くんが欲しいと言ってきたのだ。

「お守り代わりだからそんくらいでいい」
杉野くんは煙草を消して少しはにかんで言った。

同じ美大で同じアパートに住んでるのに、
大した会話もしなかった私たちなのに、
最後にこんな不思議なやりとりをするとは。
考えてたら少し笑えた。
 
夜風に冷たさの混じる秋のことだった。
少し欠けた月がそれでも煌々と輝いていた。

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そして私の隣の隣の隣の部屋は
空き家となって、私の部屋には
元杉野くんのトルソーがある。
トルソー背中の下側にちょこっと[sugino]と
杉野くんのサインが書かれている。
私は暇な時たまにそれをぼーっと
眺めたりしている。


杉野くんのデザインした服は、
何着か貰って私がたまに着ている。
なにぶん奇抜だし、
サイズもだいぶ合ってないんだけど
不思議なことに月に1度くらい着たくなるのだ。
似合っているんだかいないのだかわからない。
友達には「絶対に合コンでは着てくんなよ」と
鬼のような顔で言われた。


そして相も変わらず私はへたくそな油絵を
ぺたぺたと描いている。
杉野くんと違って賞を取ることもないし、
特集や展示もされないだろうが、私は続ける。


この前は行きつけの喫茶店のマスターが
フリマで通りかかり、

「味があるなぁ、今度店用に描いてよ」

と言ってくれた。
今はそれを制作中である。
報酬が現金なのかコーヒーなのかは
わからないが、誰かに求められているのは
心地がよいもので一生懸命描いている。


杉野くんは私の知らないどこか遠くで
たまに私の絵を眺めているだろうか、
そうだとすこし嬉しい。


そんなことを思いながら私は
パレットの絵具をぐりぐりと混ぜた。

今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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