死というものを本当に味わったのは
小学5年生の頃だ。
それまでも葬式には1、2回出たけれど、
会った記憶のない人が棺の中にいて、
まるで現実味のないイベントだった。
お焼香はどうするんだろう、
お坊さんはなんであんなものを唱えるんだろう、
終わったらお寿司でるかなぁ、
なんてことばっかり考えていた。
そんな10歳の僕はアイスを食べていた。
暑い夏だった。
電話が鳴っていた。
僕はアイスで手が塞がっていると言い、
母親に電話を取らせた。
数分後いつもと違うトーンで電話をしていた母親が
静かに受話器を置いた。
「W君の母親、亡くなったって」
W君と僕は家が近く、
3・4年生の時によく遊んでいた。
彼の家で遊んでいると、よくW君の母親が
昼食を作ってくれた。
なかでもチャーハンがとても美味しく、
他人の家の味というのを感じた。
また、W君はPCや技術系に興味があった。
僕は彼に誘われる形で一緒に科学教室に行っていた。
区の技術館で行われるそれは、
近隣の小学生がたくさん集まってPCを触ったり、
音楽を録音して聞いたり、
テレビカメラを使ってニュースを撮ったりした。
その送り迎えをW君の母親はしてくれていた。
銀のセレナで毎回送ってくれていた。
溌剌としていて、笑顔の素敵な人だった。
そんな人が亡くなった?
確かに最近Wの家には行っていない。
でも1年前くらいには行ってた。
どういうことなんだ。
母親と一緒に葬議場に入る。
クラスメイト数人と担任。
なんだか担任も今日は先生という感じがしない。
ご焼香に進むと、Wの姿が見えた。
彼の表情はいつもと変わらなかった。
僕の姿に気づくと、ほんの少しだけ笑顔を作って頭を下げた。
僕は泣きたかった。
あのチャーハンを思い出していた。
送り迎えしてくれた車内での
会話を思い出していた。
でも彼は泣いていない。
泣いていないどころか、
僕に微笑み頭すら下げた。
それは大人の対応だった。
彼は大人にならざるを得なかったのだ。
僕も涙を必死にこらえた。
ここで泣いてはいけないのだ、
彼が泣いていないのだから
僕は泣いてはいけないのだ、
そう思った。
その後、W君の母親がガンを患っていたこと、
Wは既に余命を知っていたことを
母親伝てに知った。
毎日、Wはどんな気持ちで学校に来ていたんだろう。
先週だって、普通に授業を受けて
普通に笑っていて、同じ塾に行って。
どんな気持ちだったんだろう。
次の日、担任が朝の会でWの母親の死を告げた。
Wは葬儀の関係で学校を休んでいた。
教室は静まりかえっていた。
だけれど、
20分休みにはもうみんなドッジボールを
しに校庭に向かっていた。
今日の給食のことを話していた。
昨日のバラエティ番組のことを話していた。
朝の会では暗くなっても、
次の休み時間にはもうそんなことは
なかったかのように流れていく。
そうか。
他人の死はどこまでいっても他人の死なのだ。
アフリカの子供が命を落としていくと
CMで流れても気に留めないように、
仲の良くないクラスメイトの母親の死は
気に留めるほどのことではないのだ。
たまたま今回僕の好きな人が亡くなった。
でもこれが隣のクラスの仲良くない人の
両親だったらどうだろう。
僕もたぶん、話を聞いた時は気の毒に思うけど、
その日の放課後は何をして遊ぶかで
頭がいっぱいになってしまうだろう。
誰かの大切な人は、僕にとってどうでもいい人で、
逆もまたそうなんだ。
僕が永遠に忘れない人の死は、
誰かにとって30分も経たずに忘れることなのだ。
そしてそれは世界中で行われている
とてもとても普通の出来事なんだ。
そんなことを考えながら、
校庭で遊んでいるクラスメイトを見ていた。
暑い夏だった。
PS. そのあと、銀のセレナを見かけると
運転席も見てしまうというクセだけが残った。
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