主役じゃなくても主人公じゃん

主役じゃないと気づいたのは、
たぶん中学1年の頃だ。

僕はバスケ部に所属していたのだが、
身長は低く、体重は重く、どうみても
運動が得意には見える体型ではなかった。


そして事実、得意ではなかった。


自分ができないプレーを
あっさりとこなす同級生を見て、


あっ、僕は主役じゃねーんだな


と、おぼろげにそんなことを思った。


僕はわかりやすい主役にはなれない。
土俵が違えば、どうだろう。
いや、そもそも熱量がもともと僕の中に
ないことはうすうす感づいていた。

同級生を見て、僕はまず
「敵わないな」
そう思った。

土俵うんぬんの話じゃない。
熱が足りていないんだ。自分に。
もてないのだ。熱を。


そして考えた。
どうやって生きようか。


主役にはなれなくても自分の人生の
主人公はもれなく自分である。
この自分で、なんとかするしかないのだ。


そこから僕はいろんな方向から
物事を考えるようになった。


自分にできることは何か、
できない状況の中でプラスの方向に
向くにはどうすればいいか、
集団の中で足りていない役割とは何か、

そんな感じのことを無意識的に考えて
当時は生きていたと思う。

そしてこの考えが僕の一つの核を
作ったことは間違いない。



熱がなくても、居場所は作れる。

主役でなくても、プラスになれる。



わかりにくいところにも喜びはあり、
喜びに差異はない。
大きな喜びも小さな喜びも、
どれも等しく大切なものである。


またどんな人にも悩みがあり、
どんな悩みもその人によって大きさが決まる。
ある人にとっては取るに足らないことが、
ある人にとっては死にたくなることかもしれない。


自分の世界だけで物を見ない。

それは自分の熱を極力排除することだ。



自分の熱を無くすことで、他人の熱が
より鮮明にはっきりとわかる。


他人のいい所、悪い所、気づいて欲しい所、
気づいて欲しくない所。

自分という意識を捨ててみることで、
見える形はどんどん広がる。


そしてその中で最善と思う行動を選択する。

自分を捨てることで、
より最適な自分を形成する。

そうやって僕は、これからも
できるかぎりの面から物事を捉えていきたい。


それが僕の生きてきたノウハウの1つである。






PS.もしかして、もしかしてなんですけど、
  僕って薄毛なんですか?
  治療が必要なレベルなんですか?
  そっと教えてください。そっと。

今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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