先日、仕事中に「羽生結弦 結婚したい」で
検索をして記事を探していた。
僕はゆづに興味はないのだが、
ゆづに興味がある人に興味がある。
図にするとこう。
ゆづ←♡ゆづファン←僕
ゆづのカリスマに魅せられた
ゆづファンは狂気を孕んでいる。
その狂気見たさにたびたび僕は
検索をして記事を探してしまう。
気持ち悪い虫がいるとわかりながら
川辺の大きな石をひっくり返してしまう
小学生男子のように、
僕はゆづの記事を探す。
ゆづファンの言葉を探す。
そして、とても優秀なコメントを見つけた。
彼と結婚することは望みませんが、月明かりの下で彼のまつげを一本一本数えたい。
明治期の文豪?
月明かりの下でまつげを一本一本数えたい?
天才の1文だ。
この言葉には真実味がある。
真に思うからこその発想である。
そうでなければまつげを一本一本数えたい
だなんて誰が思うだろうか。
どんな生き方をしてたらそんな発想に
至るのだろうか。
凄い。
凄すぎる。
この1文をメインテーマとして、
僕の頭の中で小話が組みあがる。
【或ゆづフアンの一夜】
テレヴィジォンの電源を入れる。
羽生結弦なる人物がスケヱトをしてゐる。
演技が終はり、最高得点が出たといふ
実況の一際大きな声が響ゐた。
私はしばらくモニタァの中で
笑ふ彼を見てゐた。
なんと美しい姿であらうか。
夢かうつつか。
彼を見つめていると、
当然の事が当然に思えなくなつてゐた。
私は正気を取り戻さんと、視線を
窓の外にやり、月をぢつと見つめた。
「けふは月がやけに大きい。」
誰に言ふでもなく一人言を溢した。
だが煌々と輝く月はますます私を正気から
引きはがし、幻の世界へと誘ふ。
彼のイメヱジがオオバアラツプする。
私は人生を見渡しても、
何も特に欲しいものはなかつた。
だのに今、どおしても彼を欲せんとする
自分がいることは疑うべくもなかつた。
たつた一度、
その姿を目にしただけだというのに。
私は苦笑を洩らしてゐた。
私は、しみじみかう思はずには
ゐられなかつた。
結婚したい。
「これは気の迷いでせう。」
又、一人言を呟いた。
しかし慾は正直でゐる。
結婚したいとはもはや言ふまい。
せめて、今宵の月明かりの元で
彼の睫毛を一本一本数えさせては
くれないだろふか。
その妄想は私を知らない世界へ、
――神々に近い「ゆづ」の世界へ
私自身を解放した。
私は何か痛みを感じた。
が、同時に又歓よろこびも感じた。
私は巻煙草に火もつけずによろこびに
近い苦しみを感じてゐた。
私は又、モニタァの彼を見つめた。
ずっと彼をみつめてゐた。
僕、ゆづファンと同じくらい
ヤバいんですかね?
ps:仕事より飲み会で評価を上げています。
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