忘れえぬワード

先日、クレイジーな夜を潜り抜けて
体内時計はバグり、形容できない気持ちが
僕の心に漂い続けていたため、
酒を飲むしかないと思った。

たびたび飲む薬院のバーで
僕は本を読みながらちみちみと
酒を飲んでいた。

すると斜め向かいのカウンターで
不思議な光景が繰り広げられた。

男女2人組、僕とおそらく同年代。
マッチングアプリか何かで会ったのか、
まだ深い関係ではなさそう。

ただ結構お酒も飲んでおり、
会話は弾んでいる。
狭い店内で私ともう一人(他人)は
静かに飲んでいたので、会話は筒抜けだ。
そして、ちょっとヴォリュームの上がった
女性の声で、
「なんでそこで うん って言わんと?」
「たいしたことじゃないやろ?」
と男性に向かって言っていた。

趣味の良いことではないが、
ついついページを捲る手が止まってしまう。

どうも断片的に聞こえる単語で推察するに、
ちょっとしたおねだりをした様である。
別に金銭的なことでもない、
気持ちとして「うん」という言葉を
彼女は欲しがっているようであった。

そして彼女が酔っていることは明らかだった。

不明瞭なことを少し言った後、
少しの沈黙が流れた。
そして

「例えば、仮に例えば私があなたに
 好意があるとして、
 それは独立したものやんか」

その言葉を聞いて、
僕はつい彼女を見てしまった。

男性は女性よりも落ち着いており、
「ちょっと何言ってるのが
 わからなくなりようよ、落ち着きなよ」
と水を勧めていた。

彼女は続く言葉を何か言おうとして、
適切な言葉が見つからなかったようで
「ごめん」と軽く笑って言った。

こんなドラマのようなことが
現実に起こりうるなんて…!

僕は小さく感動すると同時に、
なんとなく彼女が言いたいことを
想像してみた。

仮説① リターンの享受
私は独立した好意を投げる、でも
あなたからは独立していない好意を
投げてほしいのだ、という仮説。

自分の投げる好意は独立してて、
そこには重みやしがらみも無くて、
ぽいっと簡単に与えられるような気持ち。

だいたいの相手は好意を受けて好意を返す。
あれ、この人自分のことを好きなんだ、
自分も好きになっていいのかも、
という+αが加えられた好意を。

時には、同じだけ・よりライトな好意を
返してくる相手も相手もいただろう。

私は独立した好意を投げただけ、
という立場・予防線を張りつつ
相手からはそれ以上の好意が欲しい。

あるいは、相手への配慮として、
だから相手も同じくらいの好意を
返してくればいいのだ、という体裁。

こう書くと意地汚いようにも思えるが、
彼女は努力した綺麗さを身に着けている
ように見えた。ちょっとした所作や
服装にはそれが感じ取れた。

労力には相応の見返りがあってしかるべき
リターンを享受させて欲しいという気持ち

それを言葉にして欲しい。

これが仮説①

仮説② イニシアチブを握りたい

彼女は今まで好意を投げれば好意を
投げ返してくれる環境で生きてきた
ように見受けられた。

愛してきたし、愛されてきたし、
そういった好意の応酬に慣れているように。

言い換えると、好意が返って来ないことに
慣れていないようにも思えた。

それまで軽快なやり取りを重ねてきて、
さぁ、私が好意というボールを投げましたよ
あなたも返してくださいね、
という段になって
投げたボールが返って来なかった。

私がこういうボールを投げたら、
今までだったら返してくる人がほとんどだったのに、
なんなら、どんなボールでも要求すれば
投げてくれたのに、どうして返って来ないのか。

あなたに好きなように投げさせてあげるのに、
私にコントロールされるのはとてもいいことなのに、
そんな意味の言葉を彼女は飲みこんだのかもしれない。

これが仮説②


どちらの仮説にせよ、彼女の気持ちは
本質的には変わらなくて

人の気持ちはコントロールできない

ということを心の底からは
理解できていないのではないか。

これまたこう書くと、すごい思い上がりの
ように思えるのだけれども、不思議なことに
僕は結構この手の人を見たことがある。

なんだかんだ、自分のもとにあの人は
戻ってくるだろう、とか
あの人はきっと自分がこう言えば
許してくれるだろう、とか
そんなことを話す人は
いろんなところにいた。

僕だって心の底から理解できていない
ような気がする。
よしんば、自分の気持ちさえ
コントロールできない時があるんだから。

決して人の気持ちを分かった気に
なってはいけないのだ。
偉そうに仮説①・②なんて書いてるけど
まるで的外れかもしれない訳で。

最後に、芦田愛菜先生が16歳の時に
映画「星の子」のイベントで話した言葉を
引用させていただいて、結びとしたい。

(人を)信じることについて、どう思うか
という質問を受けての回答

その人自身を信じているのではなく、
自分が理想とするその人の人物像に
期待してしまっていること。

裏切られたというけれど、
その人が裏切ったというわけではなく、
その人の見えなかった部分が見えただけ。
見えたとき『それもその人なんだ』と
受け止められる揺るがない自分がいる
というのが信じられるということ。



僕もこの境地を目指して精進したい。

あと、この謎のやり取りを見て
なんとも言えない気持ちは霧散しました。



ps.上司にはみんなが来たことは
    バレてなかったです、セーフ!


今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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