ガラケーについての思い出は
皆も持っているだろう。
メールがセンターで止まるだとか、
絵文字がキャリア毎に違うだとか、
着メロをその人毎に設定したてとか。
僕もガラケーの思い出について
綴っていきたい。
初めてガラケーを見たとき
なんなんだこのビビットな色使いは…
と僕は思った。
スタイリッシュさと力強さ、
それらが融合した近未来感に
僕はガーンとやられた。
今までの最先端のカラーリングといえば、
任天堂機器のスケルトンカラーであり、
基盤が見える=格好がいいと
なんとなく思っていた僕にとって
ガラケーの色使いは衝撃であった。
当時のガラケーはホワイトとブラックに
加えてオリジナルカラーを数色加える
という暗黙のルールがあった。
そのオリジナルカラーに各端末は
これでもかという個性を出してくる。
センスのあるガラケーを選ぶものは
賞賛され、センスの無いものは
冷ややかな目で見られ小馬鹿にされる。
ブラックとホワイトを選ぶものは
僕らの中にほとんどおらず、
みながオリジナルカラーを選んでいた。
今にして思うとこのあたり皆実に
中学生っぽくて微笑ましい。
当時の僕らにとってケータイを選ぶとは
1大イベントであった。
当時僕はドコモのSO903iを使用していた。
僕はこれを最高のデバイスだと
心より信じていた。
主張するオレンジカラー。
閉じている面にウォークマン操作用の
ボタンをつけてしまう斬新さ。
どことなくかもし出すかわいさ。
僕はメモリースティックにスピッツと
ミスチルとバンプをたくさん詰め込んで
聞いていた。
しかし僕はSO903iを超えるデザインを
発見してしまう。
それがau「INFOBAR」だ。
初めて見たとき僕は驚愕した。
なんだこのセンスは。
こんなものがすでに数年前にあったのか。
(INFOBARは2003年、so903iは2006年)
僕はINFOBARを持って夜の六本木に
いれば最高の都会人だとこの時
本気で思っていた。
(服装は黒のスリーピース、シャツも黒)
中学一年時の僕の中で最高の
都会は夜の六本木であり、その都会で
最高のデバイスを使うことで最高の
都会人になるという理屈である。
都会人とはいったいなんなのか
それは全くわからない。
今でも僕は街中とかで、ビビットな
色使いを見かけると
ガラケーっぽいなぁと思ってしまう。
ガラケー素敵だったなぁ。
また、もうガラケーには戻れないが、
ああいうデザインにはなって欲しいなと
思う。
PS:昔のガラケーを引っ張り出して
メールやら画像やらを確認すると
死にたくなるので、僕は川に投げました。
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