"エモい"という言葉についての考察

エモいって言葉を使いたくない人が
一定数いるらしい。

エモいの汎用性が高すぎて、
エモいで括ることが言語知能を
下げると言う考えもある。

たしかに、エモいでまとめたく
ないという気持ちもわかる。


でもこのエモいという言葉は実に
若者のニーズを捉えた言葉だと思う。

たとえばひなびた公園を夕暮れが照らす
光景を目にした時に、

ノスタルジーを感じる、とか
郷愁に駆られる、なんて
表現した方が綺麗かもしれないけど、
ちょっと頭でっかちな感じもしてしまう。

そんな時に"エモい"という言葉は
すっと気負いなく胸に落ちていくのだ。

なおかつ、ネオンサインが輝く夜の街を
見た時なんかも"エモい"

カラオケでオールして店を出たら
朝焼けが照らしていた時も"エモい"

沼田の別荘でタープの下、
みんなで何をするでもなくシーシャを吸って、
かすかに聞こえるラジオから
昔のヒットソングなんか流れてた時"激エモ"


どんな時にもマッチして、
さっと出てくる言葉 "エモい"

そう、"エモい"にはスピード感がある。

情緒あるね、とか
風情を感じる、とか
心揺さぶられる、なんて
言葉を一瞬で瞬時に抜き去る3文字


"エモい"


たった3文字で全てをまとめ、
なおかつ頭でっかちにならない
フランクさも持ち合わせていることが、
若者の言葉として流通した所以だろう。


無意識的に若い人間はスピード感を
求めているのではないだろうか?

これは言語の世界に於いても
例外ではないだろう。

遅い言葉は世界から置いていかれるのだ。

似たような言葉に"ナウい"があった。
でもこの言葉は廃れる運命を
もって生じてきたようなものである。

そもそも"ナウい"と言われたものが
時を経るとナウくなくなってしまうわけだ。

じゃあ新しいものにだけナウいというのが
使われ続けるかというと、そんな事もない。

言葉というのは常にそのフィールドや
時代に引っ張られる存在なのである。

"ナウい"と言っていた時代が昔になった
瞬間、ナウいも昔になってしまう。

ひとたび昔になったなら、
もう昔のものを指す言葉が"ナウい"と
なってしまう。

今になってナウいという言葉を使う
としたら、ベルボトムのジーンズとか
70sの音楽を聴いた時なんかに使うのだろう。

でも当時の若者の気持ちもわかる。

"今っぽい"って言葉はぜんぜん
今っぽくないし、ダサい感じがするもの。

"ナウい"の方が遥かに今っぽい。

でもそんなナウいも廃れて、
今っぽいを表す言葉は
"今時"が主流となった。
("イマドキ"って書くとなんとなく00年代始め頃
 っぽく感じるんだけどわかる人いる?)

言葉は生き物であり、
時から逃げる事はできない。

生まれた時から死語になる宿命を
背負った言葉、"ナウい"
僕はそういう過去の遺物のような言葉が
けっこう好きである。


エモいという言葉も遠からず死語になる。
"エモい"はけっこう前から音楽界では
使われていた言葉のようである。

しかし定着したのはここ最近のこと。
これは僕の推理だが、おそらくTwitterや
Instagram、snapchatやticktokで
映えやバズ、共感の土壌が熟成したから
"エモい"ものをアップする流れが
自然と作り上げられていったのではないか。

ならば、これらのSNSが衰退する時が
"エモい"の賞味期限と言えそうだ。

もし、それでも"エモい"が残るのなら
それはすごいことだけど、僕としては
"エモい"は廃れて、また何か新しい言葉が
生まれてくる方が楽しみである。


ps
平安時代の"あはれ" "をかし"と
エモいはとても似ているように思える。








psのps 1番エモい飯です。


今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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