美容院に行く時は念入りに耳掃除する

止まっているエスカレーターに乗る時、
必ず一歩目がガクッとなる。

こんな時、「肉体も記憶を持っている」
ことを強く実感する。

そしてそれは、脳より強いものだ。

エスカレーターに乗る時は一歩目を
調整するということは長い習慣の中で
"身体に染み付いている" 
脳に調整する必要がないと言い聞かせても
身体は勝手に調整してしまう。

マラソンをやっている時も似たようなことが
度々起こった。
頭で考えて走るのを越えた時
身体で走り始める。

身体中の細胞が走ることに応え始めて、
走ることが最上の命題として
僕の中の全ての機能を動かす。

その時脳はどこまでも空っぽになる。
景色も、空気も、苦しさも、全てが
ありのままのものとして飛び込んでくる。

どんどんと精神は研ぎ澄まされ、
静かな高揚感の中に包まれる。
練習を続けて高いレベルの中に身を
置いているときに、数回だけそんな時があった。

400回ほど走って、2.3回ほどだけ
そんな感覚に包まれることがあった。

たゆまぬ努力の延長にあるその贈り物を
享受できたことは人生の中でも
かなりの至福であったことを
今ふと思い立った。


人生とはなんなのか、と考えることがある。
何かの本で読んだ言葉を強く覚えている。

生きる内容に意味があるのではなく、
生きることそれ自体に意味があるのだ。

という意味の言葉だった気がする。

僕たち人間もただの動物で、
立派に生きようが情けなく生きようが
大差無いと考えると少し気が楽になる。

もっと考えると、ホームレスでも総理大臣でも
同じ人間で、同じうんこをしてるんだと
思うと安アパートから見える景色も
なんだか悪くないように感じる。

そんなふうに情けない毎日を過ごしている。

ps.父の日の贈り物に悩んでいます。
 というか、父の日と母の日が近すぎるのって、
 ちょっと欠陥だと思いませんか?


今日の一曲 "太陽の接吻 parismatch"


今日も何かを間違えた

日々の中で間違えたこと ずれたことを綴ります。 岩崎キリン:iwa191cm@gmail.com

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