新潟県にある介護老人保健施設で、
祖父母に会った。
東京駅で母と待ち合わせて、新幹線に乗り上越妙高駅で降りる。
そこから在来線に乗り、さらにタクシーで
15分ほど走らせたところに
その施設はあった。
ゴルフのクラブハウスの様な建物であった。
自動ドアを2回くぐり、中に入る。
アルコールで手を消毒する。
病院のようだな、と思った。
母親が慣れた様子で先に進む。
僕もそれにならってついて行く。
少し進むと開けた部屋に出る。
多くの老人達がいる。
すこしすえたような、やはり病院のような、
なんともいえない特有の匂いがする。
中くらいのホールのような
開けた部屋の中に、
リハビリ用の器具や手すりが
設置してあるコーナー、
テーブルとイスが設置されているサロン
のようなコーナーがある。
祖父は窓側のサロンコーナーにいた。
車椅子に乗った祖父はずいぶんと痩せて
小さくなったように見えた。
笑顔で挨拶をすると、
一瞬間があってから笑顔で挨拶を返される。
孫だということを伝えると、
笑顔が大きくなったが、本当に伝わって
いるのかはすこしわからない。
祖母は2階にいるというので、
エレベーターまで車椅子を押す。
ゆっくりゆっくりと押す。
もうすこし早くていいよと
母が言うが、僕は決して早くはしなかった。
とにかくゆっくりと進みたかった。
2階も1階と同様の間取りとなっているが、
テーブルとイスが並んでおり、
食堂のようになっている。
介護士の方が祖母の手を引いて
連れてきてくれた。
祖母も一目見て僕が孫だとは
気づかなかったが、祖父とは異なり、
伝えると孫とはっきり認識したようだ。
母と僕と祖父と祖母。
4人で窓側の休憩スペースへ向かう。
車椅子の高さに併せたテーブルがあり、
車椅子のままで向かい合うことができる。
祖父も祖母も会話を覚えていられなくなっていた。
ここにいる間、僕が孫だと
いうことを4回伝え、
彼女がいないことを6回伝えた。
祖母は正常に会話をすることはできたが、
かなり耳が遠くなっていた。
祖父は正常に会話をすることができず、
ちぐはぐな返答を返したり、
何度も同じことを喋ったりしていた。
それももはや些細なことだ。
この場所の時間の
流れ方が僕は好きだった。
ここで流れる時間は東京で流れる時間と
ずいぶん違う。
あっという間に時間がすぎることには
変わりないのだが、時間の感じ方が
だいぶ変わっている。
東京では透明の砂が落ちるように
スーッと時間が流れる。
しかしここでは、
まるで時間が質量を持っているように
生ぬるく、柔らかく、時間が流れる。
それはこの場所に漂っている
ゆったりとした死の気配も
関係しているだろう。
それは決して重々しいものではなく、
張り詰めた空気でもない。
ただゆったりと全てを包む死の気配。
そこにいる皆から自然と出ている気配。
祖母の中では僕は4歳で止まっていた。
「この前あったのは4つの時だったか」
「あんなに小さかったのに、こんな大きくなって」
「もっと丸かったのになぁ、変わったなぁ」
「立派になってまぁ」
なんどもなんども繰り返した。
2年前に会っているのだが、
4歳の僕が祖母の中では一番記憶に残って
いるのだろう。たぶん次に会ったときも
同じ会話を繰り返すだろう。
祖父は僕がここにいることが
信じられないようだった。
「本当にいるのか」
「不思議なものだ」
「今朝夢を見たんだ」
窓の外を見てぼーっとしながら、
ときおりこちらを向いて
そんなことを言った。
しっかりいるよ、どんな夢を見たのと
返すが、ふんわりと笑みを浮かべるだけで
言葉は返ってこなかった。
その笑顔は僕の笑顔とすこし似ている
ところがあって、同じ血を持っていることを
僕に強く認識させた。
帰る時、僕は祖母と祖父の手を握った。
小さかったが意外とすべすべとしていた。
確かな温かさをを感じた。
生きて同じ時間を同じ場所で過ごした、
それが全てだと僕は思った。
この手を次に握るのはいつだろうか。
その時温かさはまだ感じるだろうか。
僕はまた透明の砂が落ちるように時が流れる
場所へと帰っていく。
ふんわりと笑みを浮かべながら。
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