本当に自分は運が良かったんだな、
と最近よく思う。
この前深夜に大声で怒鳴りながら
通話している人間がいた。
この人間をレベル1とした時、
京王線のジョーカーはレベル10
くらいと仮定してみる。
深夜に大声で怒鳴るのはモラルに
反しているし、怖…と思うが
まだ理解できる。
じゃあレベル1の人がレベル10に
なるまでにどんなことがあったのだろう。
そしてそれは僕にも起こりうること
だったのではないだろうか。
もっと言えば、レベル0の人が
レベル1になるのはもっと容易いこと
なのではないだろうか。
そう考えると、なんだか恐ろしくなる。
僕は労働をして納税をして選挙に行き、
日々をつつがなく過ごしている。
この状態を社会のフィールドに属しているの
考えるたとき仕事を辞めたら社会から一歩
外に出たことになるのだろうか。
中学生の時の同級生を思い出した。
彼は内気な性格であまり喋らなかったけど、
優しい人間であった。
中学の途中から学校に来なくなり、
それ以降彼の詳細はわからない。
彼と僕を分けたものはなんだったんだろう。
勉強の出来?友達?家族環境?
僕が不登校になる未来もあっただろうか。
小学生の林間学校で、彼を泣かせて
しまったことがある。
消灯後の時間。僕たちはたわいない話をして
笑い合っていた。
本当に些細な僕のからかう言葉で、
彼は泣いてしまった。
僕は必死に謝ったし、彼も気にしていないと
言ってくれた。
ナイーヴな人間だったのだ。
人より少しだけ。
そしてその性質で彼は学校に
馴染むことができなかった。
今の彼はどうしているのだろうか。
少し歳のいった彼の母親と彼が
住んでいた都営団地は数年前に
建て壊されて、今は新しい団地となった。
今もあそこに住んでいるのだろうか。
彼は社会のフィールドにいるのだろうか。
僕がレベル1にならないで住んでいるのは
単に運が良かったからのような気がする。
両親に恵まれて、友人に恵まれて、
常識とか社会性とかをなんの疑問もなく
覚えることができた。
でもそれってたまたま運が良かった
からなんじゃないだろうか。
もし僕の両親が今よりも少し荒れていたり、
ちょっと悪い友達ができていたら、
あっさり僕も社会のフィールドから
外れていたんじゃないだろうか。
レベル1の人も家庭や職場では
常識があって信頼されている人なの
かもしれない。
そう考えていくと、このレベルという
過程は非常にあやふやなものに思える。
僕が京王線に火を放つ未来なんて
想像もできないが、それは
本当に些細なことで起こり得る
ことなのかもしれない、
あるいは、不登校になってしまった
彼が人を刺す未来もあったのかもしれない。
そう考えた時、僕はあの林間学校の
悪気ないからかいが思わぬナイフと
なって人の未来を変えてしまう可能性を
考えずにはいられない。
もし僕があの時からかわなかったら、
彼は不登校にならずに今も社会の
フィールドにいたかもしれない。
だから僕はそう言ったレベル1の
ちょっとした悪意が出てしまう人を
みた時に、嫌悪感よりも恐れを覚える。
自分と何が違うのか、
まったくわからないからである。
ps.オカモトの0.03mmシリーズを全部
試してみました。今のところ暫定一位は
アロエタイプのものです。
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