その衝撃的な単語が僕の目に飛び込んできたのは、
夏と秋、2つの季節を反復横とびしているような
9月下旬の夕方のことだった。
僕は南北線の車内にいた。
冷房が効きすぎていて、車内ではしきりに
腕をさする女性がいた。
僕も寒さを感じていた。しかし寒さを感じることは
南北線を感じることと同義である。
人が好むと好まざるに関わらず、南北線は寒い。
優先席の前で立ちつり革を握っていた。
電車は駒込を通過し西ヶ原にむけ走っていた。
すべてがいつもどおりの日常の中にあった。
しかし突然、古いジグソーパズルの端っこがぼろりと
欠けるようにいつもどおりの日常はその形を崩した。
スマートフォンからデフォルトの着信音が鳴った。
僕の隣に立っている50代程の赤ら顔の男だ。
ポロシャツにチノパンで、両方とも微妙に大きな
サイズなのは中年太りした体型に合わせているからだろう。
普遍的おじさん。
赤羽の立飲み屋に2時間もいれば
野球チームを組めるくらいこの手のおじさんを
見つけることができるだろう。
普遍おじはなかなか電話に出れない。
指で画面をタップしてスライドするという
基本的な動作が苦手なようである。
悪くない。
僕はこういう人間が嫌いではない。
世間の変化についていくよりも自分の世界に
固執して死んでいくのはある意味ではとても
幸せなことにも見受けられる。
野球中継を見ながらあたりめを齧って
発泡酒を飲み、でかいおならをする。
そんな毎日を繰り返して死んでいくような
おじさんに僕は好感を覚えた。
シンプルで簡単で、一般的だ。
一種の様式美だ。
しかし好感を覚えたのもつかの間であった。
おじさんのスマートフォンの画面には
着信相手の名前が映し出されていた。
「和田の新田」
と映し出されていた。
電話帳の登録名をどうするか、何てことに口を挟む
権利を僕は持っていないし、どのように登録しようが
それは個人の自由である。
和田の新田でも真剣佑の新田でもタッチの新田でも
どんな登録をしてもかまわない。
普遍おじはその独特のセンスでこれからも
登録していくだろうし、僕にそれを知るすべもない。
和田の新田…
和田の新田か、
うん、悪くない。
オーケー、認めよう。
本当に些細なところに異常は潜んでいる。
例えば、あなたの乗車する地下鉄の中に。
PS,職場の人から貰った
「アンパンマンのあげせん」を
食べたら急にお腹が痛くなりました。
ドキンちゃんの青色verのやつのせい
だとにらんでます。
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